2020/12/05 17:06

「わたしは41歳の時、モンサヴォン石鹸の牝牛のおっぱいから生まれた」




これはサヴィニャック自伝の冒頭に書かれた有名なセリフです。


ポスター作家として長く苦労した後に私たちのよく知るサヴィニャックのスタイルを確立し、

世間に評価されるようになったのは1949年にモンサヴォン石鹸のポスターが注目されたことがきっかけでした。




彼の作風からもわかるようにサヴィニャックはユーモラスでおしゃれな人でした。

なので天才肌で始めから華やかなキャリアを歩んできたのかと思いたくなりますが、

決してそんなことはありませんでした。


サヴィニャックを紹介する際に「遅咲きのポスター作家」などと表現されることもあり、

実際は苦労人であることがわかります。




庶民階級出身のサヴィニャックは早くから働かなくてはならず、

1923年15歳のころにパリ交通公団のデザイナー兼トレース工として就職し、

夜間に工業デザインを学びました。


1928年に兵役を終えたサヴィニャックは職を転々としていました。

定職もなく自信を失っていたサヴィニャックは1933年に

なんと当時の大作家であるカッサンドルの元を紹介状も持たずに訪れました。

そして運よくカッサンドルと対面をはたすと助手として雇ってもらえることになったのです。


なんともラッキーだったサヴィニャック。

とても大胆な行動が運を引き寄せたのでしょうか。

またその場で仕事を与えたカッサンドルも凄いですよね。

サヴィニャックの才能を瞬時に見抜いたのでしょう。


カッサンドルの下での修行はカッサンドルがアメリカへ移ることになるまでの

およそ5年間にわたりました。

この頃のサヴィニャックの作品はカッサンドルのものとよく似ており、

私たちのよく知る「単純明快でユーモアにあふれた」スタイルはまだありませんでした。


当時のポスターの装飾技術の主流はエアブラシでしたが、

サヴィニャックはそれを苦手としていました。

そんなこともありサヴィニャックは自分自身のスタイルを確立しないと、

と思い悩んでいました。


そのあと1939年に第二次世界大戦が始まり戦争へ招集されることになり、

サヴィニャックのポスター作家としてのキャリアは足踏みをすることになります。

サヴィニャックにとって戦争は「遅咲き」の要因となってしまいました。




1943年に広告コンソーシアムに入社し多くの仕事をします。

働き始めてから2年もすると“カッサンドル調”もなくなり、

サヴィニャックは自身のスタイルを確立し始めます。


ようやく仕事も順調になったように思われますが、

ここでの作品はポスターになることはなかったそうです。


1940年に結婚もして公私ともに順風満帆に思えたのですが

1947年に勤務時間中にチェスをしていたのが見つかり解雇されてしまいます…。


お茶目というかなんというか勤務中にチェスをしているなんて

やはり“大胆”な人ですよね。




またまたポスター作家としての職を失ったサヴィニャックは1948年にポスター作家としてすでに活躍していたベルナール・ヴィユモと出会い、翌年に共同の展覧会を開催します。


この展覧会のポスターを担当したのはサヴィニャックでした。ポスターをデザインする際に人物の違いを出すために自ら“ヒゲ”をのばしはじめました。




ここでお話は冒頭の「モンサヴォン石鹸」のポスターに戻ります。


ヴィユモと共同で開催したこの展覧会に出典していたモンサヴォン石鹸の原画が、クビになってしまった広告コンソーシアム代表ウジェーヌ・シューレールの目に留まり、すぐにそれをポスターとして採用することを決めました。


この出来事をきっかけにサヴィニャックは売れっ子ポスター作家の仲間入りを果たします。

そして次々と傑作を生み出していきます。




こうしてみるとピンチの後に必ず大きく強くなって戻ってくるサヴィニャックは本当に凄いなと思います。


若きころのいち時期は自転車競技の選手になりたいとサヴィニャックは考えましたが、

自分に素質がないと理解して諦めています。

その後に“素描”の才があるのではと思いそれを生活の糧にしようと思い始めます。


こうしたことからもサヴィニャックは独自の視点で物事を冷静に分析して考えることができ、

それを時に大胆にも思われるような行動に起こしてしまう、心の強さや大きさがあるようです。

その思考こそが「アイデア」であり、心こそが「ユーモア」なんだろうと思います。


サヴィニャックの作品はまさにサヴィニャックその人の“魅力”そのものなのではないかと思わざるを得ません。




そんなサヴィニャックの魅力に惹かれてしまい、ファンになってしまった人が世界中にいます。

僕もそのひとりであり、今これを読んでくれいているあなたもすでに「サヴィニャックのファン」であること間違いなしですね。